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蹴りたい背中

綿矢りさ「蹴りたい背中」を、今さらながらに読んだ。

切ない。
ストーリーではなく、読後の自分が。

当時十代の作者だから書ける、いや、作者が当時十代だったと
予備知識として知ってるからリアリティをもって迫ってくる作品。

自分もかつては十代だったから、ハツやにな川の気持ちが分かる。
いや、ハツやにな川の気持ちが分かる十代だった頃の自分を思い出す。

なんかさっきから、「・・・いや、・・・」ばっかりだけど、
読んでても、こうして書いてても、思いが十代の自分に辿りつくまでに若干の
タイムラグがあって、ズレてしまう心を修正しながら、おぼつかない足取りで
手探りの感想をつかまえていく感じになる。

ページを開いて文字を数行飲み込めば、すっと十代のハツたちに溶け込んでいく。
でも、時々訪れる集中の切れ目(集中力ないからね)に、襟首をつかまれて
引き戻されるように、今の、三十代の世界が視界を覆う。

そのたびに切なくなる。

運悪くというか、出勤途中の電車で読んでいた自分は、駅について本を閉じた瞬間、
胸の少し下がぐっと縮むような苦しさを感じた。ものすごくおなかが空いた時の感じと
よく似てたから、単にそのタイミングでおなかがすいたのかも知れないけれど。

「今の自分」とぴったり重ね合わせて共感を味わえる世代以外には、
楽しめない作品のような気がする。楽しめない、というか、楽しく読めない?

ローティーン(それ以下は読まないだろう)が読んでも、その世界に憧れたり
夢見たりするような話じゃないし、ハツやにな川たちの世界が既に過去形の
私たちのような世代には、私と同じような切なさが待ち受けている。

もっとも、私たちのような世代でも、楽しく読めない、だけで、その切なさを
快感に思えるマゾっ気があれば、楽しむことはできる。私は楽しめた。

もっともっと楽しみたくて、読んだ後もこんな他愛のない雑記を延々書きながら、
絶対に戻ることのできない十代を思い出しては、戻りたい気持ちを膨らませて、
鬱々とした気分を胸いっぱいに味わっている。

実際の十代は、当事者だった当時の自分にとっては、そこまで素敵でもなかったことを
まだギリギリ覚えているのに、美化しきった十代を思い描いては、(今の記憶はそのままで)
あの頃に戻りたいという叶うことのない想いと現実とのギャップに浸って楽しんでいる。

サドの自分が、マゾの自分を虐めて楽しむ。
それをこうして人の目につくかつかないか微妙な場所にチラチラと書き連ねて、
独りで羞恥プレイを楽しむ三十代の自分が空しくて切ない。


・・・なんてことを書いてたら、今、テレビで、らき☆すたの番宣が。
鬱な気分が途切れてしまったので、今回のプレイはここまでに。

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2007年05月14日 23:40に投稿されたエントリーのページです。

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